美濃の名窯 幸兵衛窯 八代 加藤亮太郎は、美濃陶の伝統を研究し、その力強い表現を探求する現代作家です。自ら窯を築き、穴窯焼成の志野や瀬戸黒を中心とした桃山陶を基とし、伝統的な技法にアレンジを加え、新たな釉調とともに多岐にわたる芸術的表現をみせています。土と炎に実直に向き合い、人為的に操ることが難しい窯変に果敢に挑戦し続けるだけでなく、大型オブジェや書と陶が融合する陶板シリーズ、書作も手掛けています。本年は五十歳「半白」を迎えることから、2024年10月1日より古川美術館・分館爲三郎記念館にて「陶芸家 加藤亮太郎 半白記念展」を開催します。
そしてこの度、その年の最も優秀な作家に対して授与される賞である「2023年 日本陶磁協会賞」の受賞を記念し、名実ともに現代の日本陶芸界を代表する陶芸家の一人となりました。この受賞を記念して、日本橋・壺中居にて受賞記念展「2023年度 日本陶磁協会賞・金賞受賞記念 加藤亮太郎・三代 宮永東山展」が開催されます。
▍展覧会概要
展覧会名|2023年度 日本陶磁協会賞・金賞受賞記念 加藤亮太郎・三代 宮永東山展
会 場|壺中居 (東京都中央区日本橋3-8-5)
日 時|2024年10月21日(月)〜10月26日(土)11:00〜18:00
作家在廊|全日在廊予定
入 場 料 |無料
主 催 |公益社団法人日本陶磁協会
協 力 |ギャラリーこちゅうきょ
▍陶芸家 加藤売太郎
幸兵衛窯 八代 加藤亮太郎は美濃桃山陶の伝統に正面から立ち向かい、自ら窯を築き、穴窯焼成の志野、引出黒、織部、黄瀬戸など、特に茶盌の制作に力を入れています。また書と陶が融合した作品や、異素材とのコラボレーションも積極的に手掛けています。
加藤亮太郎 公式Webサイト:https://ryotarokato.com/
1974 七代加藤幸兵衛の長男として生まれる
2000 京都市立芸術大学大学院陶磁器専攻修了
2000 家業の幸兵衛窯に入る
2014 パラミタ陶芸大賞展(パラミタミュージアム)
2014 幸兵衛窯八代目を継承
2014 幸兵衛窯歴代展(古川美術館)
2018 興福寺中金堂落慶法要にて千宗屋師による献茶道具として奈良三彩天目を制作
2021 岐阜県芸術文化奨励受賞
2024 日本陶磁協会賞受賞
▍受賞理由
茶道や書を学び、それらが活かされた作品が、近年充実を見せています。正統派の茶陶を手掛ける作家としての期待を込めて、選出されました。
▍受賞に寄せて
受賞のお知らせを聞いてから、何かの呪縛から解き放たれたのか、作ることが楽しくなった気がします。自分の作っているものの方向がこれよいのかと、漠とした不安感がありましたが、認めていただき、心の中に芯ができたのかもしれません。
京都時代は黒陶を中心としたオブジェを作っていました。大学を出て美濃(岐阜県)の実家に戻ると、大きなものを焼く窯がないなど環境の理由で、別のことを探る必要性が出てきました。手捻りは学生の時から得意と自覚していましたが、オブジェを作れなくなり悶々としていた時、ふと手捻りで茶盌を作ったことが一つの救いになりました。手の中で土を転がしつつ、作ることに嵌まりました。
最初は、粉引や鉄釉でした。志野や瀬戸黒は、当初はガス釜で焼いていましたが、失敗を幾度も重ねるなかで、穴窯で焼けるようになりました。そうなると、土や釉でも穴窯のほうが断然味わい深いので、そのうち完全に穴窯の焼成だけになりました。
京都から帰り、初めて美濃焼を見つめ、向き合ったのかもしれません。美濃のやきものは多様性。あるものと違うものを融合して新しいものを生み出すという織部の思想があり、それを繰り返した結果、あらゆる多彩なバリエーションが生まれたと気づきました。祖父・卓男の手がけた三彩やラスター彩も、唐突なように見えてその一部だと今は思います。また、同世代のほかの産地の作家たちと展覧会や茶会を開いて交流するなかで、改めて美濃焼とは何かを考え、自覚する機会となりました。数多ある美濃焼の中でも、その芯にあるのは桃山陶です。
現在は、年に八回から十回ほど窯焚をしています。一生に一度でもいいから数百年残るものを焼き上げたい。そのためには数を多く焚く必要があると思っているので、がむしゃらに続けてきました。茶盌は、茶を美味しく飲めること、何よりも「茶がある茶盌」という原点を心掛けつつ、ライフワークとして取り組んでいきます。今週に五十の節目を迎えますが、守破離でいえば破から離と向かって自らを深めつつ、作っていきたいと思っています。
▍壺中居 アクセス
〒103-0027
東京都中央区日本橋3-8-5
日本橋高島屋本館、さくら通り口の正面です
|日本橋駅|
地下鉄 銀座線・東西線 B1出口 徒歩2分
地下鉄 都営浅草線 C4出口 徒歩4分
|東京駅|
八重洲地下街 23番出口 徒歩3分
八重洲中央口 徒歩8分
▍多治見 幸兵衛窯について
幸兵衛窯は文化初年(1804年)初代加藤幸兵衛により、美濃国市之倉郷にて開窯され、間もなく江戸城本丸、西御丸へ染付食器を納める御用窯となりました。当窯の歴代当主は、陶芸家として美を生み出すため、常に新しいものを追い求め、試行錯誤し挑戦し続けています。六代 加藤卓男はペルシア陶器や正倉院三彩の技法を復元し、ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵など伝統と独創の融合した作品を制作し、人間国宝に認定されました。それらペルシア陶技は七代加藤幸兵衛へと引き継がれ、さらなる独自の現代的な作風を展開しております。
八代 加藤亮太郎は美濃桃山陶の伝統に正面から向き合い、土と炎に実直に向き合い、人為的に操ることが難しい窯変に果敢に挑戦しています。六代 卓男が再現・築窯した桃山時代様式の半地上式穴窯では志野、瀬戸黒、黄瀬戸などを、八代 亮太郎が築窯した穴窯では瀬戸黒を年八〜十回ほど焼成しています。
▍お問い合わせ先
報道関係者からのお問い合わせ先
広報:鶴岡 Mail:kobeigama.pr@gmail.com
写真
キービジュアル、茶盌 撮影:菊池陽一郎
加藤亮太郎、制作風景など 撮影:野村知也