ABCラジオは、2月16日(日)に「上方落語をきく会」を開催します。
「上方落語をきく会」は、1965年(昭和30年)12月から現在まで続く上方落語で最も長い歴史を誇る落語会です。これまでに「1080分落語会」や」「しごきの会」など、ファンの間で伝説として語り継がれる特別企画も開催してきました。通算123回目を迎える今回も大阪の国立文楽劇場から昼夜の2公演を行い、ABCラジオでおなじみの噺家を中心に上方落語の大御所から若手まで、各世代の実力派が顔を並べます。当日はABCラジオの生放送でもお楽しみいただけます。
17時半開演の「夜の部」には芸歴55周年の桂南光さんを始め、桂南天さん、林家菊丸さん、笑福亭鉄瓶さん、桂ちょうばさん、桂三実さん、桂天吾さんが出演されます。
納得できない落語は納得できるように変えていく
当日の総合司会で、ABCラジオの落語番組「日曜落語~なみはや亭~」席亭(案内役)の伊藤史隆アナウンサーが、夜の部のトリを飾る桂南光さんにお話を伺いました。
スタートは朝日放送から
伊藤史隆(以下、伊藤) 今日は桂南光さんにお越しいただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
桂南光(以下、南光) 南光でございます。よろしくお願いいたします。
伊藤 桂南光さんはABCラジオで日曜朝に放送されている「竹内弘一のなにがナンでも!」にご出演
いただいています。番組はいかがですか?
南光 録音やし、わざと言うたらいかんこと言ったりして(笑)。竹内弘一さんもパワフルな方で、やっ
ててとっても楽しいです。
伊藤 ABCラジオでは(前名の)べかこさんの時代からずーっといろんな番組をご担当いただいていま
す。
南光 そうですね、はい。「歌謡大全集」(※1)で土谷多恵子さんとも。これまた丁々発止で、あの人
にはしごかれました(笑)。最初のレギュラーは朝日放送の「おはよう朝日です」でね。私がソロ
バンを持って値切りに行くっていうバーゲンダー(※2)の初代です。
伊藤 そうそう! あの頃、テレビって元気だったなと言いますか。南光さん、時のべかこさんがソロ
バンを持って街にバーッと出て行ってですよ。街の普通の方々と丁々発止やるなんてね、
なかなか最近ないですもんね。
南光 ないですね。あの時はもう、わけ分からんとやってて。みんなね、毎日私があの時間帯に現場で
生でやってると思ってはったけど、「おはよう朝日です」は生やけど、私の部分の5分くらいは
録画なんですよ。1日で1週間分、月火水木金の分を撮るんです。
「おはようございます」って言うて、「べかこです。今日は公設市場に来ています」
「朝日が眩しいです」とか言いながらやってるねんけど、金曜日になったら夕日なんですよ(笑)。
それをまぁ、「向こうにきれいな朝日が!」とか言うて。ほんならね、
そんなの分かる人がいてるんですね。苦情が来て。
「あれは朝日ちゃうやろ、夕日やろ。色見たら分かるんじゃ」っていうおっさんがいた
みたいです。
伊藤 でも当時はべかこさんにバーゲンダーで来てもらって、喜んでらっしゃるお店がいっぱいあっ
て。全部の数でいったら、ものすごい値切りをされたわけですよね? 総額すごいですよね?
南光 一応ね、だいたいこれぐらいっていうので、値段は先に決まってるんですよ。でも収録しだして
「もうちょっと」、「もう一息」、「ね、これぐらいどうですか」みたいになったら、「あぁ、
ほんならそれで行きまひょかー」って言って、「決定」ってやってたんですよ。で、撮り終わ
ったら奥さんが出てきて、「そんなこと勝手にされてたら困りますから」みたいになって、
「撮り直ししてください」って。旦那さんは「いや、もうええやないか」みたいな。そんなこ
ともあったり、おもろいこともいっぱいありましたよ。
落語を知らずに入門して55年
伊藤 南光さんは1951年、昭和26年のお生まれで、時の桂小米さん、後の桂枝雀さんに入門されたの
が昭和45年、1970年3月でいらっしゃいますんで、この3月でちょうど芸歴が55年。
南光 えええええー! そないやってきてます?
伊藤 はい。
南光 私? まだ30年ぐらいの気でおんねんけどなー。そない、大したことしてきてないので。
伊藤 いやいやいや。でも、高座を拝見しても、若々しくていらっしゃって。確かに55年、失礼ながら
年齢も70歳を超えられてーなんて思えないぐらいで。
南光 73歳ですよ。ただ本当にこんなこと言うたら申し訳ないんですけど、私はですね、当時の小米さ
んのラジオを聴いてて、落語は聞いてなくて、「この人ええ人や」と思って、書生になろうと思
って弟子入りしたんですよ。
伊藤 あ、そうなんですか!
南光 そうなんですよ。何年先かわからんけども、多分別の仕事をすると思ってたんですよ。生涯噺家
を目指したわけやないし、落研だったわけでもない。うちの師匠、枝雀さんが好きだったのでっ
ていう。2回か3回ぐらい、向いてないし、もう辞めようかなと思ったこともありましたけど、
辞めてしまうと師匠と離れてしまうじゃないですか? だからというので、ずるずるずるとーと
いうか、やってきて55年ですわ。
伊藤 そもそも落語はお好きだったんですか? 当時の森本少年は?
南光 いや、全然。
伊藤 へーっ!
南光 ラジオの深夜放送でうちの師匠がディスクジョッキーをやってはるのを聞いて、小米さんってど
んな顔してる人かも知らなくて。仁鶴師匠がね、ちょっと色っぽい小噺をやって「エロ仁鶴」と
呼ばれてて。仁鶴師匠は顔も出してはって、「どんなんかなー」って言ってはったんやけど、今
みたいに調べるもんもない。ラジオもたまたま聞いてて。変わったディスクジョッキーでした
よ。仁鶴師匠みたいに「うわー」じゃなくて、「こんばんは、桂小米です。まだ起きてはります
か? 我々人間は、どこから来てどこへ行くのでしょう? 宇宙の果てには何があるのでしょ
う? それでは1曲どうぞ」ってこんなんや。「この人変わってるなー」とか思って。でも、う
ちの師匠のディスクジョッキーのこの口調、喋りに、この人はすごいハートのある優しい人やと
思って、とりあえずこの人のところに行こうと。就職も決まってないので、そう思ったんでよ。
伊藤 へー。
南光 で、(師匠のところへ)行ってから落語を聞き出して。落語もね、こんなこと言ったらこれまた
申し訳ないですけど、本当に面白くて好きやと思いだしたのは50歳くらいからですね。
伊藤 僕ら学生の頃、若いべかこさんを一生懸命聞いてましたけどね(笑)。
南光 教えてもろた通り必死でやってて、家で稽古しててね、「こんにちは。こっち入り」言うてます
やん。ふっと覚めて、「何が面白いねん、これが」と思ったことが何べんもありましたもん。
伊藤 へー!
南光 ほんまに。そんな感じでずっとやってたらいつの間にか年もいってきて、こんな風になってしま
ったんですかね。
伊藤 まず(当時の)小米さん、枝雀さんの落語に触れて、あぁ、こういうもんなんだって惚れる部分も
おありだったでしょうし、ここに至るとご自身が落語の面白さというのをすごく感じるわけです
よね?
南光 そうですね。だから自分が聞いてて納得できない落語なんかは、やるなら納得できるように変え
たりとか。例えば「抜け雀」っていうのは、江戸の人がたくさんされてますけど、もともと上方
落語で。で、場所が小田原っていう。ね? こっちから行ったら箱根越えたところの、なんで小
田原が舞台やと。大津やとか、宿場があればそこにしたらええのにって思って米朝師匠に聞いた
ら、米朝師匠は「わしも知らんことがあんねや」と。
伊藤 ハハハ!
南光 「昔から小田原になっとんねや」って言われて。でもね、昔やったら小田原であろうがどこであ
ろうが、浪曲でも講談でも大阪弁でされてたけど、今の時代、小田原におる旅館の夫婦が大阪
弁というのはどうもしっくりこないなというので、私が勝手に大坂の人が江戸へ行って、そこ
でスリにおうてすっからかんになって、小田原の旅館で助けてもろて、結局そこへ養子に入っ
て、そこの嫁さんが5年の間に大阪弁をしゃべるようになったという風に強引に変えてやって
るんですよ。
伊藤 サゲの部分も皆さんがよくご存知のとちょっと変えてらっしゃるんですね?
南光 そうです。(噺の中で)「籠を描く」っていうねんけど、籠を描いて、雀がその中に入ったらどっ
から出んねんっていうのがイメージとしてあったんで、籠をやめてサゲも変えました。
伊藤 そうやって落語にどんどんどんどん、ある意味没頭していって、これは違うっていう南光流に
変えて、今我々が楽しませていただいている。
南光 ありがとうございます。
ABCの伝説の落語会に数々出演
伊藤 そんな桂南光さんに、来る2月16日日曜日の「第123回ABCラジオ上方落語をきく会」の
夜の部にご出演いただくことになりました。よろしくお願いいたします。
南光 ありがとうございます。ほかにどういう人が出るんですか?
伊藤 南光さんのほか、お弟子さんの桂南天さん、林家菊丸さん、笑福亭鉄瓶さん、桂ちょうばさん、
桂三実さんということで。
南光 ほぉー。
伊藤 で、放送に入る前の落語会の開口一番は、孫弟子さんの桂天吾さんにおつとめいただくという
落語会になってございます。
南光 それは嬉しいねんけど、みんな勢いのある人ばっかりやなぁ。
伊藤 そうです。
南光 こんなん聞いてへんで。もっと弱った人、前に出してくださいよ。で、私がトリ。わー、めっち
ゃめっちゃプレッシャーや、これ。
伊藤 ABCラジオは昼夜でずっとぶち抜きで生中継もいたしますし、昼の部、夜の部のまさに大トリ
の部分を南光さんに。
南光 え、それ生で流しますの?
伊藤 流します。
南光 えー、時間とかよう読まんし、サゲ行くまでに終わるかわかりませんよ、ほんまに(笑)。
伊藤 ぜひぜひ、よろしくお願いいたします。「上方落語を聞く会」は、今回で123回目で、昭和30年
からやっておりますので、南光さんの芸歴より、さらに10年先輩の会になるんです。ちょっと調
べますとですね、「上方落語を聞く会」に南光さん、時のべかこさんに初めて出ていただいたの
が昭和46年、1971年の10月、大阪・難波の高島屋ホールで「兵庫船」を演じていただいていま
した。昭和45年3月入門で、46年の10月に、もう出ていただいていますね?
南光 そうですねん。入門1年ちょっとでね。その頃は噺家が50人ちょっとしかいなくて、私なんかは
一番若いとこで、人数が少なかったからこういうふうに出してもらえたんですよ。
この日の「兵庫船」は覚えてますよ。
伊藤 へぇー。
南光 あとね、朝日放送さんは狛林(こまばやし)利男さんという人がおられて、すごく落語を大事にし
てくださって、いろんな会をしてはって。で、「1080分落語会」(※3)ですか?
伊藤 はい、これがですね、「兵庫船」をおやりいただいた1971年、その半月後ぐらいですね。
11月11日、ABCの開局記念日に1080分間ずっと落語をやるという、ものすごい「上方落語を
きく会」がございまして、そこにも!
南光 そうです。トップに。その日の朝はね、午前4時半ぐらいに起きて、まだ内弟子で、師匠と一緒
に朝ごはんを食べて、タクシーでその当時の朝日放送のABCホールに向かって。で、みんな、
なんか緊張してはんねんけど、私はもう一つ緊張せずに、とりあえず教えてもらったことを
やって。
ネタも師匠が「江戸荒物」をやりなさいって。
伊藤 朝7時からだったんですけど、超満員だったんですよね。
南光 そこからずーっと生でやってましたもんね?
伊藤 べかこさん、今の南光さんの「江戸荒物」。次に登場したのが笑福亭鶴三さん、後の六代目松喬
さんの「三人旅」。そして「ザ・パンダ」の四代目林家小染さんが「尻餅」。その後小米さん、
後の枝雀さんが「いらちの愛宕参り」という感じで進んでいったんです。
南光 仁鶴師匠の「くっしゃみ講釈」で、胡椒を買いに行くところがあるんですけど、「胡椒がおませ
んねん」って言うのに、仁鶴師匠はどうまちごぅたか、「あ、胡椒でっか、ありまっせ」言うて
渡しはって、お客さんが「えぇーっ」みたいになって、仁鶴師匠も途中で気ぃついて、「あの、
胡椒返してこい」って言うて、「唐辛子に替えてこい」って。だから、もう異常におもろかった
のを覚えてますよ。それがそのままライブで流れてましたから。
伊藤 「上方落語を聞く会」は、「しごきの会」という若い噺家さんに、ネタおろし3席を演じていた
だいて、そこにベテランが間に入ってという会もやっていて、南光さんには昭和57年、1982
年に「阿弥陀池」「二番煎じ」「鴻池の犬」と演じていただいております。
南光 覚えてますよ。嫌でしたわー。師匠も出るし、他の先輩、師匠方も出はるし、その間でやらなあ
かんわけですよ。
伊藤 しかも初めてやるネタばっかりね。
南光 そうなんですよ。でも無理はあるけど、しごかれるっていうのもそこで負けるか、それをクリア
するかでやっぱり変わってきますもんね。
伊藤 落語好きな方はおっと思われたと思うんですが、「阿弥陀池」「二番煎じ」「鴻池の犬」って、
今も南光さんのいわゆるお得意のネタになってるわけじゃないですか?
南光 まあ、持ちネタですけどね。
伊藤 そういう歴史があるんだと。で、これはしごかれた側ですけど、しごいた側はつい最近の2021
年、4年前に桂りょうばさんがしごかれる役に回りまして。南光さんはその先輩のお一人として
「抜け雀」を演じてくださって。
南光 「抜け雀」には親子っていうのが出てきますので、それもあって、うちの師匠の息子さんのりょ
うばくんのところでこの「抜け雀」をやろうと決めてやったんですよ、実は。全然世間には伝わ
ってなかったようですけども、そういう思いもあって。
うれしい一門会
伊藤 それ以来ですから、4年ぶりに南光さんにご登場いただくということになるんですが、今回の夜
の部は孫弟子さんの天吾さんにまず開口一番をつとめていただいて、南天さんもたっぷり。親子
関係でいうと、お孫さん、お子さん、お父さんと3代続けて出てくる。
南光 南光一門会ですよね。
伊藤 そうなんですよ。
南光 こういう出番を組んでいただいて、戸谷さん、ありがとうございます。本当に!
伊藤 いや、これもなんかね、うれしいなって思うんですよ。国立文楽劇場で。
南光 私も全く弟子をとるつもりはなかって、うちの師匠は「好きにしなさい」と言うてはったんです
けど、南天、尾崎という男がしつこく来て、弟子になって。ほんで南天に「君も弟子とりなさ
い」と言うたら、「私はいいですわ」と言うてたんですが、そこに天吾君が来て。最近では3人
で、あとゲストを呼んで「南光一門会」とかいうのをやらせてもらっていまして。こんな時代が
来るとは思いもよりませんでしたな。
伊藤 神戸新開地・喜楽館でも一門会をやっていただいて。
南光 そうなんですよ。
伊藤 本当に温かいと言いますか。私も拝見していて、何とも言えない空気の落語会で。
南光 それはお客さんがそんな風になって。ちょっと悔しいことを言いますとね、天吾のお客さんが
多いんですよ。
伊藤 ハハハ!
南光 ほんまに。もう、感想を聞いたらわかりますねん。だから天吾君が輝いているので、後、我々も
やりやすいですね。
伊藤 でもそれは南光さんにとっては嬉しいことでしょう?
南光 嬉しいですよ!
伊藤 そんな要素もあるABCラジオ「上方落語をきく会」が2月16日の日曜日です。大阪・日本橋の
国立文楽劇場で昼の部は12時半から、夜の部は夕方5時半からで南光さんは夜の部にトリでご出
演をいただきますので、 どしどしお運びいただいて楽しんでいただきたいと思います。前回のり
ょうばさんの会の時にはご自身の中のテーマがあって「抜け雀」。今回もきっとそういう裏テー
マというのは失礼ですけど、お考えもあるかもしれないですね?
南光 いや、何にも考えてないですけど。73になったらね、もうどんどん忘れていってますからね。
ほんまに。ネタ数も減って、古いのをしばらくやらなかったら自分が変えたとこまで忘れてしま
うこともありますんで。さぁ当日はどうなるかなー。
伊藤 じゃあ、そこも楽しみに待ちたいと思います。ABCラジオ「上方落語をきく会」、
どうぞよろしくお願いいたします。桂南光さんにお話を伺いました。
どうもありがとうございました。
南光 ありがとうございました!
(2025年1月16日 ABCスタジオ)
構成=日高美恵
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(※1)「歌謡大全集」
朝日放送のラジオで1975年から2011年まで期間限定で放送していた音楽リクエスト番組。
(※2)「突撃!バーゲンダー」
落語家やタレントらが「バーゲンダー」となって、各地の商店街に行き、店主に商品を安く売ってもらえるように交渉する「おはよう朝日です」のかつての名物企画のひとつ。
(※3)「1080分落語会」
朝日放送の開局20周年の記念企画。1971年11月11日の午前7時から翌12日の午前1時まで18時間にわかって開催、生中継された。一部を収録したレコードも発売された。
桂南光(かつら・なんこう)
1951年12月8日生まれ。大阪府南河内郡千早赤坂村出身。70年3月に二代目桂枝雀(当時は桂小米)に入門して「べかこ」。93年11月に「三代目桂南光」を襲名。昭和61年(1986年)咲くやこの花賞、平成2年(1990年)大阪府民劇場賞奨励賞、平成6年(1994年)上方お笑い大賞、令和4年(2022年)「芸術選奨文部科学大臣賞」ほか受賞。ABCラジオの「竹内弘一のなにがナンでも!」(毎週日曜日・午前9時~10時)ほかに出演中。
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第123回「ABCラジオ 上方落語をきく会」夜の部
日時:2025年2月16日(日)17時半開演
会場:国立文楽劇場(大阪市中央区日本橋1)
出演:桂南光 桂南天 林家菊丸 笑福亭鉄瓶 桂ちょうば 桂三実 桂三吾
司会:伊藤史隆 桂紗綾(ABCアナウンサー)
放送:18時からABCラジオで生放送
※なお、公演のチケットは完売。当日券の販売はありません。