野村邦丸
「美里さんは、漠然と『13歳でデビューしよう』と思っていた?」
渡辺美里
「そうですね。幼い頃から歌うことが好きで、『絶対ボーカリストになる!』って決めつけていたんです。18歳でやっとデビューが叶いました」
邦丸
「1985年5月、ケニー・ロギンスのヒット曲をカバーしたシングル『I’m Free』でデビューしていますが、当時は洋楽や今でいう日本のJ-POPなど、いろんな曲を聴いていたそうで」
渡辺
「そうですね。ラジオが好きでした! もちろんテレビから流れてくる歌謡曲も大好きでしたし、FENラジオから流れてくる洋楽もよく聴いていて。洋邦問わず大好きでした」
邦丸
「少女時代に聴いていたFENラジオが土台になっているんですね」
渡辺
「そうです。家族で車で出かけるときはいつも流れていたので。洋楽だ、邦楽だと分けては聴いていなかったですね。どれもが自分の血となり肉となっていたと思います」
邦丸
「ラジオに関しては、聴くのも大好きだったという話ですけど、出まくっていましたよね!?」
渡辺
「(笑)。出まくっていた印象ですか!?(笑)」
邦丸
「週4本ラジオの番組をやられていたと」
渡辺
「自分でも、そんなにしゃべりが得意な方だとは思っていなかったです。時代的に新しいFM局がどんどんできていたので、月、水、金の生放送に、収録が2本。計5本、ラジオをさせていただいていたときもありました。ラジオの合間にレコーディングして、ツアーをやって。とにかくスタジオにいました。レコーディングスタジオか、ラジオのスタジオか、コンサートホールか」
邦丸
「ラジオの時間は、美里さん自身も気に入っている時間でもあったんですか?」
渡辺
「今みたいにメールじゃなくてハガキがたくさん来ていて。自分に向けてハガキを書いてくれるのって、結構手間のかかることじゃないですか。『こんなにいっぱいお手紙くれるんだ!』って。もらったからには全部読まなきゃ、と思っていたので、いただいたお手紙は全部目を通していましたね。忙しく走り回っていた中で、ラジオのスタジオでハガキを読むこと、選曲をすることは、すごく自分にとって大事な時間でした。すごく楽しかったです」
邦丸
「そして『My Revolution』。『My Revolution』を最初に聴いたときって、どういう気持ちだったんですか?」
渡辺
「もう、ゾクゾクっときました。『My Revolution』の前にも何曲か曲を書いていただいていたんですけど、『My Revolution』は小室(哲哉)さんもすごく手応えがあったみたいで。『こんなのできた!!』ってスタジオに来て、スタジオのピアノでメロディーを弾いてくださって、私もそれに合わせて歌って。そしたら小室さんが『いいね、これ~!!』って。一緒に確認したのをすごくよく覚えています。それまではデモテープをいただいてメロディーを確認していたんですけど、『こんなんできたんだけど…』って曲を持ってきてくださったのが『My Revolution』です」
※渡辺美里が出演した6月10日(月)の『くにまる食堂』は、放送当日以降7日間聴くことができます。