■展示概要
関東大震災からの復興が進み、街に華やかさが戻った昭和初期は、モダンなライフスタイルが生まれました。江戸東京たてもの園内の西ゾーンにある復元建造物「常盤台写真場」は、この華やかな時期が終りに近づきつつある1937年(昭和12)に東武鉄道株式会社が東上線沿いに開発した常盤台住宅地に建てられました。
明治・大正期にはまだまだカメラが一般に普及しておらず、常盤台写真場が建った昭和初期でも写真は写真館で撮影する格別なものでした。写真師がそれぞれ腕を競い合って撮影した写真は、家の記録として大切に残されていました。
時代が下り、コンパクトカメラの登場により写真が身近なものになると、写真館の存在は変化し、家族の記念日などの撮影や、学校行事の撮影などを行うようになっていきます。さらに現代においてはカメラ付き携帯からスマートフォンへと、写真は誰にでも手軽に写せるツールに変化している反面、デジタル化が進むことで、画像の保管などが課題となっています。
本展示では明治から現在にかけて街の写真館が果たした役割をたどります。また、デジタルカメラが一般に普及して30年以上が経っていますが、改めて写真の在り方についても考えます。
プロローグ・昭和モダン
大正末から昭和10年代にかけては、関東大震災からの復興が進む一方で、海外から流入した欧米文化が日本の伝統文化に影響を与え、モダンな市民文化が流行しました。特に大衆芸能としては映画と新劇が人気を博しました。ここでは昭和モダンの一端を紹介します。
1章・営業写真館の歴史
日本人が初めて写真に接したのは江戸時代後期のことですが、そのわずか20年後にはすでに日本人による写真館が開かれています。明治期には多くの写真館が開業しました。その後、写真館は増え続け、昭和2年に刊行された『日本写真年鑑』には全国で2,500以上の写真館が掲載されています。ここでは明治大正期に活躍した写真師たちを紹介します。
2章・文化住宅と常盤台写真場
明治になり和洋折衷の住宅が建てらるようになりますが、1922年(大正11)に上野で開かれた平和記念東京博覧会で和洋折衷の「文化住宅」が建てられると、それを契機に広がりを見せるようになります。これと相まって鉄道会社はその沿線に分譲地をつくり沿線開発を推し進めました。ここでは常盤台写真場が建てられたころの様子を中心に、当時の写真館の実像を見ていきます。
3章・変化するカメラと写真
昭和20年代になるとコンパクトカメラが次々につくられるようになり、一般人でも購入できるようになったことで、写真は写真館で撮るものから、誰でも自由に撮影できるものへと変化しました。また、発売されるたびに新しい機能が付けられ、機器の性能も飛躍的に伸びていきました。ここではさまざまなカメラや当時の広告からどのように写真機器が進歩していったのかをみていきます。
エピローグ・人はなぜ写真を撮るのか
カメラのない時期に記録を残すためには絵画や文字が主な伝達手段でしたが、正確性には欠けました。しかし写真の登場によって対象となる被写体は鮮明に残せるようになり、今日、写真はデジタルカメラなどの登場でより手軽に撮影できるようになっています。その分写真データは大量に保存されています。
この写真をなぜ撮ったのか。その時々の記憶を思い返して整理をしてみるといいのではないでしょうか。
■関連企画
ミュージアムトーク 7月27日(土) 14:30 ~
「特別展『街に写真館があったころ~常盤台写真場と昭和モダン~』みどころ」
担当:眞下 祥幸(学芸員)
■開催概要
【特別展|街に写真館があったころ~常盤台写真場と昭和モダン~】
会期
:
2024年(令和6) 7月27日(土)~9月23日(月・休)
会場
:江戸東京たてもの園(小金井市桜町3-7-1 都立小金井公園内) 展示室
開園時間
:9:30~17:30(入園は閉園30分前まで)
休園日
:月曜日 ※月曜日が祝休日の場合はその翌日
主催
:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京たてもの園
展覧会サイト
:
https://www.tatemonoen.jp/special/2024/20240727.php