国内最古級の起請木札を含む木札群や、豊橋市図書館のもととなった資料群「羽田八幡宮文庫旧蔵資料」など、市指定であった5件が県指定に昇格に!
令和6年8月6日(火)に、愛知県文化財保護審議会にて下記の文化財が県有形文化財に指定されました。
普門寺の最盛期である平安時代末、山内での規律を僧・永意が示した「起請木札」や、中世の広大な普門寺領の範囲を示した「四至注文」など、密教の山寺・普門寺の歴史をものがたるこれらの木札や、市民主導として日本図書館史でも最古と言われ、近代的図書館の先駆けとなった「羽田八幡宮文庫旧蔵資料」など、歴史的にも貴重な資料が多く、下記に一つずつ写真付きでご紹介していきます。
普門寺の林住職は、「地域の宝である文化財を次世代に渡すべく、大切に守っていきたい」とのこと。
また、豊橋市中央図書館では記念講演会も開催いたします。こちらも振るってご参加ください。
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【予約不要】「羽田八幡宮文庫旧蔵資料」愛知県指定文化財指定記念講演会
日時 令和6年9月28 日(土) 14:00~15:30
会場 豊橋市中央図書館 3階集会室(豊橋市羽根井町48 番地)
講師 大塚英二氏(愛知県立大学名誉教授・愛知図書館協会会長)
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①日本最古級の起請木札!「僧永意起請木札 附 同写」
「僧永意起請木札 附 同写」※所有者:宗教法人普門寺(豊橋市雲谷町字ナベ山下7番地)
員数 1枚 附 1通
時代 木札:平安時代(永暦2(1161)年)、同写:江戸時代(延宝7(1679)年)
重要な内容として本尊の近くに掲示されていたもので、現存する国内最古級の起請木札。
平成10年(1998年)に偶然に見つかった際に、とても良い状態で保存されており、木の枝に記した平安時代のものが墨もきれいな状態で残っているのが珍しく、貴重なものとなっています。
木札には平安時代末の永暦2年、当時の僧永意によって山内に示された3か条の規律(起請)が板書きされており、暴力や喧嘩をしない、盗みを犯さない、など現代の社会にも通じるルールが書かれています。
また文字の形が横長になっており、平安時代特有の文字の書体も見ることができます。
②普門寺の寺領を方角ごとに示した「普門寺四至注文写木札」
「普門寺四至注文写木札」※所有者:宗教法人普門寺(豊橋市雲谷町字ナベ山下7番地)
員数 1枚
時代 鎌倉時代(正中2(1325)年)
普門寺がかつて所有した、広大な寺領を東西南北の四至で示しています。
重要な土地の権利を含む内容として、本尊宮殿(厨子)の板壁に写し書きされました。
③南北朝時代に写し書きされた「普門寺四至注文写」
【画像:撮影場所にはなかったので、報道発表資料の画像をお借りして挿入お願いします】
「普門寺四至注文写」※所有者:宗教法人普門寺(豊橋市雲谷町字ナベ山下7番地)
員数 1通
時代 南北朝時代(応安元(1368)年)
②と同様の内容が、南北朝時代に文書として写し書きされたもの。
②は下部が失われているのに対し、全文がきれいな状態で残っているのが見どころです。
④当時の人名などが読み取れる三界万霊供養木札
三界万霊供養木札※所有者:普門寺(豊橋市雲谷町字ナベ山下7番地)
員数 1枚
時代 南北朝時代(14 世紀)、追記 室町時代(天文2(1533)年頃)
「三界」とは輪廻が続く苦しみの世界。そこに住むすべての人々の霊を供養するために、寺院が行う行事が三界万霊供養で、おもに戦乱や天変地異に際して行われました。
普門寺では暦応元年(1338)に行われ、さらに16 世紀には供養する人々を細かく加筆し、再び供養を行いました。当時の人々の名前がぎっしり書かれており、具体的な名前や居住地の地名が分かる貴重な資料になっています。
⑤近代的図書館の先駆け!豊橋市図書館のもととなった一大資料群「羽田八幡宮文庫旧蔵資料」
「羽田八幡宮文庫旧蔵資料」 ※所有者:豊橋市、宗教法人羽田八幡宮、宗教法人神明社
員数 9,218 件(豊橋市9,040 件、羽田八幡宮173 件、神明社5件)
※市分は豊橋市中央図書館蔵
江戸時代の末に、羽田八幡宮神主の羽田野敬雄らが中心となって設立した羽田八幡宮文庫。
武士・町人・百姓など身分の差がなく利用することができ、本の貸出を行うなど、近代的な図書館の先駆けとなりました。本の貸出箱の現物など、日本の図書館史を語る上でも貴重な資料群です。
写真は本を貸し出しする際に使われていたと思われる木箱。
中には「貸し出し期間は1か月以内、10冊以下」「転借許さず(又貸しは禁止)」「汚したりしたら弁償すること」など、今の時代とあまり変わらない内容が記載されています。
羽田八幡宮文庫とは
羽田八幡宮文庫は、嘉永元年(1848)に吉田宿の人々が「自らが集めた本を後世に残したい」と考えたことがきっかけとなり、羽田八幡宮神主の羽田野敬雄(1798~1882)らが幹事となり羽田八幡宮境内に建てられました。
蔵書は「神社に奉納する」という形で集められ、敬雄は豊富な人脈を駆使して1万冊以上の蔵書を収集。
吉田藩も文庫の活動に協力し、信長、秀吉、家康の書状や後奈良天皇、後陽成天皇の宸筆(天皇直筆の書)などの貴重資料が吉田藩士によって奉納されました。
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「羽田八幡宮文庫旧蔵資料」の文化財としての3つの特徴
1.公共的・市民的図書館として成立したこと
江戸時代に存在した図書館的な機能を持った施設は、藩や寺社が設立することが多く、羽田八幡宮文庫のように市民主導で成立した事例は極めて少ないです。日本図書館史でも最古と言われ、のちに静岡の磐田文庫も羽田八幡宮文庫のモデルを参考にしたと言われています。
2. 利用貸出を行う地域図書館の機能を有していたこと
設立した人が利用することを前提に作られていた図書館的な施設は、江戸時代にも存在していましたが、羽田八幡宮文庫は武士・町人・百姓の身分差なく利用でき、本の貸出なども行っていたそう。こちらの絵にもその模様が描かれ残っています。
3.豊橋市図書館の成立につながったこと
羽田八幡宮文庫は、明治時代に入り、文庫の幹事たちが相次いで亡くなると、次第に衰退していきました。
明治40年代に文庫は閉鎖となり、蔵書も一度は売られてしまいましたが、当時の宮司が「終活」として大切な資料を残し守っていくべく、県内有志の出資を募るとともに、資材を投じて約9割の蔵書を買い戻しました。
当時、図書館建設に向けて動いていた豊橋市は、羽田八幡宮文庫旧蔵資料を買い取り、明治45 年(1912)に図書館を創立しました。