野村邦丸アナ「原晋監督は広島県のご出身です。元々スポーツ万能だったそうですね?」
原晋「いや、そうでもないですね(笑)。球技系はあんまり得意じゃなかったかな。ただソフトボールとかは朝から晩まで少年の頃はやってましたけども、まあ走ることが遊びっていう時代ですか、私も57歳になりますからね、子供の頃はファミコンなどのゲームはありませんからね。外で飛び回ることが遊びで、そのひとつにランニング=走ることというのがあったような気がしますね」
邦丸「じゃ、野球にするか陸上競技にするか、迷ったことは無いんですか?」
原「当時の我がふるさと・広島県三原市には『健康マラソン』っていうのがございまして、小学校の頃から自分で親に『これに出場したい』と言って申し込んでいたんで、ランニングの方が好きだったんでしょうね」
邦丸「ところが走るのが好きだった原少年が、足に大怪我をしちゃうんですよね?」
原「そうですねえ、今振り返るとこの怪我が『自由の大切さ』っていうのを本能的に感じた出来事だったのかな? という風に感じるんですね。と言いますのが、小学1年の入学式の前に、私の実家の裏に防波堤がございまして、そこに積み上げられたブロックごと海に転落しまして、右足を20針以上縫っちゃったんで、だから小学校の入学式はギプスをはめられて松葉杖で登校し、動き回りたい年頃の時に骨折で動けなかったんで、『自由に動き回ることの幸せ』を肌で感じたのが1年生でしたね」
邦丸「そうなんだ! で、中学から本格的に陸上競技を始められて、高校がこれ名門中の名門ですね、広島県立世羅高校へ進学しました」
原「そうですね、振り返ってみるとここでは『自分で決断すること』を学びましたかね。と言いますのも、世羅高校という非常に伝統的で厳しい寮生活、厳しいトレーニングの中で、高校3年間生活しましたけども、この進路先は自分自身で『ここに行きたい』と決めましたんで。当時高校1年の時の寮生活は昭和メソッドの理不尽な世界がありましたからねえ(笑)」
邦丸「上下関係でね(笑)」
原「はい。それでも耐えられたのは、自分でここで頑張りたいという風な思いで入学しましたので、厳しい中でも耐え忍ぶことが出来たかな~という風に思いますね」
邦丸「ちなみに高校駅伝での原晋選手の成績はどうだったんですか?」
原「一応ですね、私キャプテンを務めさせていただきまして、全国高校駅伝・第35回大会でお陰様で準優勝と。私は4区を走りまして区間2位の成績だったですかねえ~。」
邦丸「原さんはその後中京大学に進まれますが、大学ではやたら遊びまくって酒もバンバン飲んでたって、これ本当の話ですか?」
原「これはですね、本当に学生指導をしている指導者からすればですね、今の学生に対して大変申し訳ない(笑)。監督が大学の時そんなに真面目にしてたかって言えば、まあ言えたもんじゃないですね(笑)。それはお恥ずかしいばかりで。大学の2年間は本当に陸上にも身も入らず適当なことをやってたんですけど、『このままじゃいかん』ということで、一応、大学3年生の時にですね、全日本インターカレッジ6000mで3番に入ることが出来たんですけども、ですから高校時代の全国高校駅伝準優勝と、学生時代の1度きりのインターカレッジでの3番。この2つしか私、威張れるものが無いですね(笑)」
この後、原さんは中国電力に進み、社会人として苦労を重ね、低迷していた青山学院大学の陸上競技部監督に就任、見事に強豪チームに仕立てていく。そのあたりのお話と、次のコーナー「ごはんのおとも」での2024年箱根駅伝の展望については、ぜひradikoのタイムフリーでお楽しみください!
※12月21日放送『くにまる食堂』内、原晋さん出演の模様は、放送当日以降7日間聴くことができます。
https://radiko.jp/share/?sid=QRR&t=20231221110000
■番組概要
番組名:『くにまる食堂』
放送日時:毎週月~金曜日 午前11時00分~午後1時00分
■会社概要
東京のラジオ局 文化放送を運営しています。2022年で開局70周年を迎え、250以上の番組を制作しています。FM91.6 & AM1134で放送中。
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〒105-8002 東京都港区浜松町1-31
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